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学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

人類滅亡のシナリオ。

無痛文明論

無痛文明論

森岡正博という哲学者の無痛文明論という本は、初めて読んでから随分と経つが、今でも限りなく高い信ぴょう性を持つ内容だと思う。
もし、時代を先読みしたいと思う人が居たら、この無痛文明論は目を通しておいた方がいい。
以下の文は無痛化というワードを理解した人に向けて書いているので、そうでない人にはわからないかもしれない。


無痛化はどんどん人を中庸なものに変えていく。

便利な世の中はいずれ人類を根絶やしにするだろう。
抗う方法はない。
どちらにしても、悲劇が付きまとう。
中間は無い。
世のため人のため、世界が頑張り続けた結果、人類滅亡とは厳しいね。
無痛化、人類奴隷化は、人類が望んだことだから仕方ない。
創造維持破壊。
情報ネットワークの普及によって世の中は大きく動き続けている。
音も無く忍び寄る人類の最後が、もう遠くない未来に訪れる。
人類を根絶やしにするのは、核でも天変地異でもない。
合理化とネットワークだ。
人口はどんどん減少し、日常には危険がなくなり、事故で死ぬこともなく、恐怖を知らず、寿命を全うして逝く。
性交渉なくして子供は誕生し、親なくして子は育ち、温室から一歩も外に出さず管理下の元に生き続ける。
おそらくほとんどの人は去勢される。

つまり、人類による人類の家畜化。

それが滅亡へと続く。
生命倫理なんぞ、人の欲望に敵うわけがない。

スピリチュアルVS科学

どちらに大きく転んでも人類滅亡。
おそらく今後も科学が優勢だろう。
宗教もオカルトも、合理化が進むごとに駆逐されていくのだろうか。
徹底管理は息がつまるよ。
平和の代わりに、虚ろな表情の人々。
トラブルの無い生活の代わりに、勇気をことごとく失った未来人。
アップルはiCloudで個人のプライベートを管理してくれるが、便利だとそれだけアップルに依存するようになる。
アップルは我々の生活をより無痛化してくれるはずだ。
siriもそのうち人工知能が進化して、ビジュアルを持つようになるだろう。
声も表情も仕草も、とても人間らしくなり、アップルが管理するiCloudのパーソナルデータを参考にして、siriはあなたの一番の理解者となるだろうし、親友あるいは恋人になるかもしれない。
そして、機械との意思疎通が主になって、しまいには人間の必要性が議論され…


無痛化は、人類の英知の結晶であり、同時に滅亡の鍵となる。

ならば、無痛化を止めよう!という意見もあるのだろうが、あなたはやめられるか?この便利な暮らしを。
無痛化は止まらないし、無痛化ほどビジネスになることもない。
家畜になりたいのなら、家畜にしてあげることが、善行ではないだろうか。

さあ、歩もう。これからも、滅亡に向けて。

人類の英知の果ては終焉に向かい、休むことなく滅びへの道を進み続ける。

文字は万能じゃない。

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文字という文化は、人類には欠かせない大事なものだ。


しかし、どんなに上手く文字の羅列を作ろうとも、伝えられないことはある。
昔からも文章でのコミュニケーションは存在していたが、短い一言の文章ではなく、内容も報告するような調子のものであり、現在でいうSNSのような、絵文字や顔文字などの感情を表す内容は組み込まれていなかった。
しかし、現代ではプライベートな会話のほとんどはSNSで行われている。
プライベートな会話には感情を伝える必要がある時がしばしばあるが、文章では伝えられる内容にも限界がある。
文章でのコミュニケーションはリアルタイムな受け答えではないし、お互いの顔も見えないから嘘をつき易い。

だから、人はネットの時代になっても実際に会うことを必要としている。

会って、目を見て声を聞いて空気を感じて、初めて意思が伝わる。

文章は便利だが、万能じゃない。
まあ、本物のペテンは全てをごまかせるらしいが…

ちなみに俺は不器用です。
多くの場合、本音しか語れません。
全く心にもないことは口にしません。
それが仇となることもあるほどにね。


SNSというものが、簡単なコミュニケーションを可能にした反面、希薄な関係を作りやすくしたのだろう。

だから今まさに必要なことは、実際に会う人々で構成される小コミュニティーだ。

これは、ビジネスの種のような気がしている。
インターネットは気の合う人も見つけられるが、日常的に会える距離から見つかるに越したことはない。
小コミュニティーが流行れば、きっと文化も盛んになるだろうに。
ただドラマは良くも悪くも増えるだろう。

思い出が増えるよ。

家入一真に教えられた、本当に必要なもの。

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失敗はいくつになっても尽きることがない。

目的のために貪欲になり、挑戦をやめないからこその結果でもあるが、ある程度下らない失敗も繰り返してしまう。
原因となる欠点を無くしていくことができれば一番だが、原因が気質にあった場合はどうにもならない時もある。
先天的な気質は変わらない。
変わらないならいっその事認めて尊重してあげたいものだ。
気質こそアイデンティティーを確立するための根本であり、その人自身なのだから、なるべく否定したくはないだろう。
特に自分のことは。
それなら違う部分を伸ばせるだけ伸ばそう。
みんなとは逆の方向だろうとも、伸ばせるだけ伸ばそう。
それが人のためになることになれば、あなたは人々に歓迎される。
欠点は補い合えるのだから、完璧でなくてもいい。
ただ、その補い合う度合いによっては、希薄な相互依存しか築けない。
だから本当に信頼を持って補い合えるのは出会えた人々の中でも僅かな人とのみ。

ただ、現代は補い合える人がいなくても生きていけるためのサービスが提供されている。
だから人との関わり合いによって満たされるであろう心の充足がなくても、ごまかしながら生きていける。

これから先の未来、一体どれだけの人と関わりあえるのだろう。
その中でもきっと、仲良くなれる人は数少ないに違いない。
それなら今どうやって必要な縁をつなぎとめられるのか?

家入一真の考えを教えてもらい、論理的に理解ができるようになった。
だから俺も金が欲しい。
人は生きるために金がかかるから、最低限は持ってなくては話にならない。
俺もみんなも少なからず寂しがり屋だ。
人には集まるところが必要なんだろう。

人  場所  物  ドラマ

これらが人生に必要なものだ。
これらを手に入れることを目標として、これからの振る舞いを考えていきたい。

これから先、どれだけ笑いながら過ごせるのかは、自分自身にかかっている。
どこまで出来るかはわからないが、大義やドラマに踊らされつつ頑張ろうと思う。

オカルトの有効活用を目指す。

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今回はオカルトについてのお話です。


最近はブログがない分ハタヨガの修行がとても良く進み、さらなる修行の一つとして真言密教マントラを取り入れての瞑想を行っておりましたが、これははじめに言ってしまえば、オカルトの力を借りるための方法です。
どうしてそんなに怪しいことをし始めたのか?
それを説明しようというわけで本題に入ります。

基本的に人は感情で動き、感情は理屈ではどうにもならないほどの頑固である。

しかし、そんな頑固な感情もオカルト的要素にかなり弱いらしく、大きな影響を受ける。
 だから、感情の力を味方につけようと色々突き詰めていくと、どうしてもオカルトじみてくるのだ。
病は気から。この言葉は知ってる人も多いだろう。これもオカルトである。
こういうオカルトも医学の発展していなかった時代には、一番の特効薬だったに違いない。
それに現代のお母さんも子供に痛いの痛いの飛んでけーとかオカルトを駆使しているようだ。
あと、プラシーボ効果とは、水素水とかああいう物に効果を感じた時のことであり、これもオカルトである。
オカルトの感情効果は、信じる素直さと強い思い込みでより強く引き出せるのかもしれない。
良い効きが表れるなら儲け物。
人間の可能性というものは、外の世界よりもむしろ、内面世界である無意識下に沢山眠っており、それを引き出すためにはオカルトこそが有効な手段の一つである。
ただの水だって相当迫力のある儀式をすれば、尊い神水とかになって、飲んだら病気にかからないって無茶なこと言って飲ませても、尊い水に感動してすごく深く信じれば本当に病気にならないかもしれない。
逆に、今手にしているこの普通の飲み水を特別綺麗で神聖な場所で汲んだ富士山の天然の湧き水だと思って飲めば、とんでもなく美味しい水になるかもしれない。

つまり、人間が幸福を求める以上、ある程度のオカルトは有効に使うべきだろう。

ただし、全員がこれをやると危ない世界になるので、やりたい人だけやる方がいい。(笑)
ただ、オカルトの世界は力がありすぎて果てしなく危険である。
お化けだって、信じる人にとっては恐ろしい事この上ない。
そして、オカルトは人を脅すなどの方法にも有効な手段なので、悪用厳禁だろう。
呪術だって、そのオカルトさえ相手に信じさせれば、人だって殺せるほどだ。
そんなオカルトを豊富に扱う宗教というものは、指導者の意向によっては、大量殺人へと繋がる可能性もある。


オカルトは単純に信じるか信じないかのどちらかでしかない。

使い方をうまくすれば、人生をより幸福に送るために欠かせないものになるが、場合によっては酷い結果に至るかもしれない。
オカルトの中にも良いのと悪いのはあるのだからよく考えてから合うものを探すといい。
アドバイスとして言えるのは、誰かに帰依して、力を借りて行うようなオカルトにだけは手を出さず、自分一人で行えるものにするべきだというのと、当然唯一信じるのは自分であるというのと、オカルトはそれに従うためのものではなく味方であると捉える方がいい。
この力を自身の自己実現に利用したいのなら最新の注意を払ってどうぞ。


この世はずっと昔からオカルトに支配されている。

今までの歴史からも、オカルトが沢山の悲劇を生んだことも確かだ。
でもある程度はオカルトがないと、世界は味気ない。
オカルトで幸せを手にした人だって居たはず。
だから、これから先の時代にも人間がいる限り、オカルト文化は生き残ると思う。
良くも悪くもオカルトは無くなりません。
ならいっそのこと、オカルトと前向きに共存する体制に移行するべき?
くれぐれもお取り扱いは慎重に。

毎日の更新は質を落とすので、今後はマイペースに行きます。

前回の記事はどうも「スベった」奴らしく、爆笑の気配ゼロなその空気。
鉄板ネタかと思われた幸福実現党の政策紹介動画は、どうやら自分の周りでしかウケなかった模様。
これは面白いぞ!と思って載せてしまい、皆様大変失礼しました。

とまあ、それはさておき、前回の記事でよく理解したのは、記事の内容とクオリティを維持するべきだということ。
余計な内容を挟んでまで毎日更新するのに拘ったのでは、この「学校では教えてくれない裏の価値観」という内容に一貫性がなくなってしまう。

これでは読んでくださる方々には申し訳がない。

今後はマイペースな更新頻度と致します。
本当に記事にしたい内容だけで今後は更新していきますのでよろしくお願いします。


それと、今はまだ設備の問題で行えませんが、YouTubeでも配信を行う予定があります。
よろしければ、またその時はご覧くださいませ。

幸福の◯学は大規模なギャグに人生を賭けた集団。

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幸福の◯学の総裁である、大川隆◯という方を皆様ご存知ですか?

一部ではイタコ芸人という異名すらあるほどの本気のギャグが売りの宗教家様です。
もちろん、幸福の◯学という組織のボスです。教祖です。
彼が何をして皆様の信仰、あるいは笑いを掴んでいるのかというと、まずはこの動画をご覧ください。(最後まで見なくても結構です)
 どうですか?
この人はこういう霊言などという変わった方向性のギャグを展開しているのですが、ギャグとは思わずに本気で信じる方も時には居るようです。
こういうギャグを本気で信じる人々の存在すらも大◯隆法氏の想定するギャグの延長なのだとしたら、これは凄いエンターテイメントですよね。
本気の表情で行われるギャグほど皮肉で愉快なものは中々ありませんので、この方々はある意味貴重なのです。
 
そして、もう一つは「幸◯実現党」のこの間の選挙での政策紹介動画です。
これは見てる最中から既に大分笑いました。(こっちは最後まで見る価値あり)
 


【幸福実現党CM】もし消費税が10%に増税されたら?逆に5%に減税したら? - YouTube

   
消費税が数パーセント変わるだけで、街が随分と変わっていく様は実に愉快な妄想を見させられている気になります。
消費税が増えると街は荒廃し、車も突然爆発し、5パーセントに戻ったら空飛ぶ車が現れ、街が凄い発展してるのには驚きました。
 5パーセントに戻ることでこれだけとんでもなく発展するならなぜ今まで5パーセントだった時にはこうならなかったのですか?なんて、愚問ですよね。失礼しました。

これが幸福◯科学クオリティ。

彼らは本気でこれを信じることで新手のギャグに挑むカリスマエンターテイナー達なのです。
そして同時に果てしなくピュアー(笑)な心の宗教集団です。
最近は大学まで作ろうとしてました。
 
え、僕がここに投票したのかって?
もちろん、そもそも投票に行ってません(笑)

昭和の偉人から学ぶ、経営者の理想を考える。

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なぜ昭和には、沢山の偉人が居るのだろうか。

頑固者、仕事一筋、親分肌、情熱、一心不乱、仲間思い。
戦中の日本には、どんな思想があったのだろうか。時代背景による民意はどのようなものだったのだろうか。
そして、現代の若者からカリスマ性を持つ偉人を輩出するにはどのような教育が必要となるのだろうか。
昭和と現代の、文化や教育などの違いを考察してみる。


戦後昭和の雰囲気を思い浮かべる。

とにかく働き盛りの若い人が多い時代。
あらゆる人間が手を取り合って困難に立ち向かっていた。

大規模な公共事業やテレビという娯楽の普及、新しい音楽が沢山輸入され、民衆の生活は一気に変わった。
沢山の文化が日本全体に急激に広がっていき、戦争の特需で景気は大きく回復し、消費は高まり、生真面目な日本人の製品は海外で高く評価され、敗戦国にも関わらず高度経済成長を経て、世界の大国へと舞い戻った。

景気は常に右肩上がり、将来の心配も少なく、沢山の労働力があぶれる事なく求められる時代。
国民は次々と子供を産んでどんどん育てた。そして戦後ベビーブームからの団塊の世代の誕生だ。
この時代の子供は同級生が相当沢山いたことだろう。どんな場所でも子供が多いと確かに社会は明るくなる。
子供側としても、同級生が多いとその分だけ沢山の子供社会も沢山生まれ、幼い頃から組織作りに長けた子供もよく育つ。
子供が多ければそれだけ沢山の個性も増える。互いが大きく影響しあえる。
子供が引き起こす沢山のドラマもあちらこちらでてんこ盛りだから毎日が劇的だったのかもしれない。

そして、地方からの大勢の若者が集団就職、都会は大勢の人で溢れかえった。
やはり沢山の人が集まる場所には、沢山の人間ドラマが生まれる。
沢山の悲劇もあっただろうし、沢山の成功もあっただろう。
沢山の人が使命感に燃えて、仕事に命をかけていた時代でもある。
とにかく、この頃の都会は凄い世界を築いていた。
(その熱狂的な過去の都会に、僕も旅行として行ってみたいのだが、過去というものにはどうしても旅行に行けないようなのでこればかりは諦めるしかない)



昭和の会社にあった家族的な結束は現代の会社でも再現が可能なのか?

とにかく、昭和という時代の条件を現代風に再現出来れば、出来次第で我々もドラマのような劇的な日々を過ごせるようになるのかもしれないと言うことです。
人の数はどうしようもありませんが、それ以外の工夫で多少よくはなるかもしれません。
ただし、優れた経営者は教祖、家族的結束の会社はカルト宗教団体のようなものです。
人の心を理解した太っ腹なブラック企業であるとも言えます。(それはブラックじゃない?)
それをあえて理解した上で、求めたければ求めましょう。

昭和の偉人の一人、松下幸之助曰く、人間観察こそ、幸福に生きるために必要な事柄。
これを意識して日々を過ごせば、きっと良い方法が見つかるはずです。