学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

あらゆる人を輝かせる小コミュニティーの可能性

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我々人間は『社会的動物』と言われている。
アリストテレスが言うには、人間は自己の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という他の動物には見られない独特の自然本性を有する動物であるとのことです。
なるほど、なんかアドラーの共同体感覚になんか似てますね。

ちなみにアドラーの共同体感覚とは、簡単に言ってしまえばみんなで協力して困難を乗り越えていこうという考えで、アドラーは集団社会から孤立した個人ではなく、『共同体感覚』を持って『劣等性の補償』を行いながら、積極的に社会参加する個人を正常であると考えていました。
…というわけで、予備知識を備えた所で本編です。


人間は一人だけで生きていくのは難しい。それぞれが持つ知能を生かして、団結して協力し合うことで大きな目的を達成することができる。
現代もあらゆる所にコミュニティーが存在し、我々人間は世界各地で団結しながら、あらゆる歴史を築いてきた。
今日も我々が当たり前のように生活できているのは、人間が社会を作りそれが機能しているおかげだろう。
社会の仕組みが人間から日常の手間を少しでも省いてくれたおかげで、その分だけ文化や文明が発達する。
個人では不可能なことも、集団となって適材適所に役割分担することが出来れば、大変なはずの仕事もあっさり終わるものだ。

ただ、現代は何もかも便利になりすぎて協力しなくてはいけないような事はあまり無く、お金さえあれば必要な時にだけ人を集めることも出来てしまうので、団結する必要性に迫られることもなく、必然的に核家族化を経て、個人主義の時代へと向かっているようだ。
助けが必要な時は、警察や消防や民間企業が解決してくれるし、もはやお隣さんには頼む必要がないので仕方ないことではある。
なので、現代では基本的に社会を維持するために必要とされる会社というコミュニティーのみが求められているわけだ。
ただ、もちろんその中でも弱肉強食は存在しており、小中企業はどんどん淘汰されて大企業のみが残ってしまった。
大企業には沢山の人がいる。この大きなコミュニティーでは役割分担によって、運営に携わる者以外は、基本的に従順が求められている。文句や発言は求められず、ただ労働力のみ求められる。
あなたは大勢の中の一人として求められるのみで、個人としてのあなたは必要とされていない。
当然これでは、アドラーの共同体感覚は薄れてしまうだろう。大事な場面で貢献できない場合、そのコミュニティー内では自分の存在意義を感じることができないので、ここが自分を必要としてくれる自分の居場所なんだ!とは思い難いものになる。

反対に少数のコミュニティーでは、あなたという個人が求められている。
少ない人数であれば一人一人が自分の考えを示すことが出来るし、一人一人がちゃんと動かなくては維持管理はできないので、誰もが必要とされている。
だから自分の意思で参加できる小コミュニティーでは、あなた一人だけが埋もれてしまうことはない。(しかし、人数による)
だから多くの場合、個人の一人一人が輝きながら生きるには、大コミュニティーではダメなのである。
しかし、大コミュニティーは社会のシステムを維持するためには今後も長らく必要とされると思うので、無くなることはないし、生きていく以上はあなたがそこに所属するのも避けては通れないかもしれない。

ただ、小コミュニティーは規模が小さい分だけ簡単に作れるものだと言える。
信用のできる友達がいるのなら、共同体としての組織を作って見るのも良い経験になるだろう。
つまり、あなたがリーダーとなって身の回りの信頼できる仲間を集めて、みんなで協力しないと達成できない目標を作り、それを達成することを繰り返せばいい。
それを繰り返せば君の仲間は「このコミュニティーがあれば自分は輝けるし利益にもなる!」と思ってくれるだろう。こうして相互関係の良好な小コミュニティーが成り立つに至るのである。
小コミュニティーはあなたの孤独も埋めてくれるし、わがままも聞いてくれるかもしれないし、いつまでも大義を持ち続けられるかもしれない。
小コミュニティーがちゃんとした組織になるなら、大コミュニティーから脱して仕事を始めることもできるかもしれない。
しかし、全てはあなたのリーダーシップが鍵を握っていることを忘れてはいけない。リーダーシップが至らなければ、いずれコミュニティーが瓦解することを避けられないだろう。

ちなみに、この世界には共産主義社会主義全体主義があり、かつて日本も全体主義国家で国が一つの大コミュニティーだった。
理想を追い求めることはとても素晴らしい挑戦だったが、全体で一つのコミュニティーは意見が偏ってしまいがちで、暴走する危険性がとても高い。
だからこそ、敗戦後のこの国では一党独裁になり難いようだし、三権分立という手段で暴走を防ごうとはしているものの、全体主義の時代よりは生産性が高くない。
だから、これだけ語っておきながら、果たしてどのようなコミュニティーが正解なのかは未だわからない。
しかし、あなたがリーダーとなって小コミュニティーをまとめ上げる経験は、あなたの人生において決して無駄にはならない経験になるはずだ。

今のこの世の中、必要な時に助けてくれるのは、友人ではなく、社会のシステムであり、それを利用するためにはお金が必要とされる。
お金が絶対的な力を持ち、お金だけが自己実現となりやすい現代では、世知辛くなるのも当然だろう。
このまま孤独に生きて寂しくはないか?
気の許せる知人友人家族は居るのか?
一度きりの人生を有意義に送る心構えはできているのか?

人生に本当に必要なものは、お金では手に入らない人の心かもしれない。
お金があっても、人に嫌われて人生を終えるのは勘弁願いたい。
それなら極端な話だが、楽しい仲間と貧乏でも共に過ごせる方が楽しいだろう?
もちろんお金はあるに越した事はないぞ(笑)