学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

オカルトの有効活用を目指す。

f:id:HOUHIN:20150114204726j:plain

今回はオカルトについてのお話です。


最近はブログがない分ハタヨガの修行がとても良く進み、さらなる修行の一つとして真言密教マントラを取り入れての瞑想を行っておりましたが、これははじめに言ってしまえば、オカルトの力を借りるための方法です。
どうしてそんなに怪しいことをし始めたのか?
それを説明しようというわけで本題に入ります。

基本的に人は感情で動き、感情は理屈ではどうにもならないほどの頑固である。

しかし、そんな頑固な感情もオカルト的要素にかなり弱いらしく、大きな影響を受ける。
 だから、感情の力を味方につけようと色々突き詰めていくと、どうしてもオカルトじみてくるのだ。
病は気から。この言葉は知ってる人も多いだろう。これもオカルトである。
こういうオカルトも医学の発展していなかった時代には、一番の特効薬だったに違いない。
それに現代のお母さんも子供に痛いの痛いの飛んでけーとかオカルトを駆使しているようだ。
あと、プラシーボ効果とは、水素水とかああいう物に効果を感じた時のことであり、これもオカルトである。
オカルトの感情効果は、信じる素直さと強い思い込みでより強く引き出せるのかもしれない。
良い効きが表れるなら儲け物。
人間の可能性というものは、外の世界よりもむしろ、内面世界である無意識下に沢山眠っており、それを引き出すためにはオカルトこそが有効な手段の一つである。
ただの水だって相当迫力のある儀式をすれば、尊い神水とかになって、飲んだら病気にかからないって無茶なこと言って飲ませても、尊い水に感動してすごく深く信じれば本当に病気にならないかもしれない。
逆に、今手にしているこの普通の飲み水を特別綺麗で神聖な場所で汲んだ富士山の天然の湧き水だと思って飲めば、とんでもなく美味しい水になるかもしれない。

つまり、人間が幸福を求める以上、ある程度のオカルトは有効に使うべきだろう。

ただし、全員がこれをやると危ない世界になるので、やりたい人だけやる方がいい。(笑)
ただ、オカルトの世界は力がありすぎて果てしなく危険である。
お化けだって、信じる人にとっては恐ろしい事この上ない。
そして、オカルトは人を脅すなどの方法にも有効な手段なので、悪用厳禁だろう。
呪術だって、そのオカルトさえ相手に信じさせれば、人だって殺せるほどだ。
そんなオカルトを豊富に扱う宗教というものは、指導者の意向によっては、大量殺人へと繋がる可能性もある。


オカルトは単純に信じるか信じないかのどちらかでしかない。

使い方をうまくすれば、人生をより幸福に送るために欠かせないものになるが、場合によっては酷い結果に至るかもしれない。
オカルトの中にも良いのと悪いのはあるのだからよく考えてから合うものを探すといい。
アドバイスとして言えるのは、誰かに帰依して、力を借りて行うようなオカルトにだけは手を出さず、自分一人で行えるものにするべきだというのと、当然唯一信じるのは自分であるというのと、オカルトはそれに従うためのものではなく味方であると捉える方がいい。
この力を自身の自己実現に利用したいのなら最新の注意を払ってどうぞ。


この世はずっと昔からオカルトに支配されている。

今までの歴史からも、オカルトが沢山の悲劇を生んだことも確かだ。
でもある程度はオカルトがないと、世界は味気ない。
オカルトで幸せを手にした人だって居たはず。
だから、これから先の時代にも人間がいる限り、オカルト文化は生き残ると思う。
良くも悪くもオカルトは無くなりません。
ならいっそのこと、オカルトと前向きに共存する体制に移行するべき?
くれぐれもお取り扱いは慎重に。