学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

批判の陰口は連帯感を育むし、盛り上がる。

まあ、いきなりこんなタイトルでね。気分を悪くする人もいるかもしれませんが、僕のこれまでの経験上、批判ネタの陰口ほど、共感できて、よく盛り上がるネタは他には中々無いんですよね。
ただし、道理も何もない批判ネタ以外の悪口は下衆のやることです。
ただの悪口に共感できる人はあまりいないし、不快に感じると思います。
共通の被害者の会というスタンスで、あくまで正しさを語る側で盛り上がるのが好ましいですね。
辛かったね、大変だったね、と話し合うことで友情を育み、対象の批判ネタで盛り上がるのです。

ということで、まあ、今回は悪口の中でも、批判ネタを中心に見ていきます。

そりゃあ、言われる側としては凄い気分悪いでしょうね。
でも、他人を不快にさせた事実と、改善するべき点があるのだと思い知らされる意味では、一歩成長するチャンスでもあります。
だって、批判ネタはほとんどの第三者の立場から見ても、確かに批判されるような内容ですから。
例を挙げて、説明しますと…

例えば、まず耳が痛いのは、体臭の事。
体臭ってのは自分ではわかりにくい点もあるので、自分の体臭に気が付かぬまま表へ繰り出し、世の中色々なところで被害者をいたずらに増やすものです。
おかげで、多くの人が共感して盛り上がることができる定番の批判ネタの一つです。
何せ個人差はあれど、クサイ匂いというものは殆どの人にとって不快なことなのです。
嫌でしょ?すぐ近くでおならされたら。
そのくらい我慢しろよと思う人もいるかもしれませんが、そもそもまず、人が嫌がることは控えようと気遣う気持ちはないのかな?
…まあ誰しも共感しあえる悪臭の批判ネタは鉄板です。

日本の現代人はほとんどの方々が、自分がされて嫌だと思う事は人にはやるまいと、他人に気を遣って生きており、その状態が正常とされるわけで、他人を気遣って生きられない人は、他人に多くの不快を与えていることでしょうから、批判されて当然だと考えます。
そして、不快にさせられた人々はそのネタを使って共感をし、友情を育むのです。
同時に対象を無意識のうちに見下して、自分の存在は対象の人物より素晴らしいと感じ、気分が良くなるという面もあります。
批判ネタとは、これほどに良い部分があるので、我々人類にとっては今後も無くなる事はありませんし、とにかく批判ネタは盛り上がるのです。
悪口や陰口は良くない!と頭から決めつけて考えている方々もいらっしゃるかと思いますが、批判ネタに関しては、受けた不快を清算するために行うのだから許してあげてくれませんか?
清算できるどころか、笑えるし、共感できるし、自己を肯定して気分が良くなれる側面があるので、結構美味しいネタなんです。
文句言われるのが嫌なら、原因を改善するかコミュニティーを離脱するか、そのどちらかが、最も効率的な対応です。
それに、批判を言っている以上、自分を棚上げして批判してもカッコ悪いですから、戒めになっている人も沢山いるでしょう。
だから批判を言い合う事が、他人に気遣える人間になる為の勉強会ということですね。
ただし、批判ネタの勉強会は陰口なので、本人には話しませんから、知らないところで勉強会が行われているだけで、肝心の本人は勉強できません。
万が一批判の内容を知り得て、納得できる内容ならば、なんとか怒りを鎮めて、反省し、勉強しましょう。

ちなみに、人間がコミュニティーで生きる以上は、コミュニティー内での批判は絶えません。
コミュニティーの一つ一つに必ず誰か一人は批判を受ける犠牲者が必要です。
犠牲者になりたくなければ、批判の原因を改善しましょう。
そうすると今度は違う人が批判の犠牲者になります。そしてその人も改善したら今度はまた違う誰かが犠牲者です。
桃鉄みたいですね、必ず誰かには貧乏神というあれね。
最低一人は犠牲者です。
まあ、批判ネタを言う側も元々は犠牲者だったりするんですがね。

話はずれましたが、まとめますと、共通の被害報告会と、その批判ネタの陰口は楽しいし、成長する為の勉強会だし、友情を育みますよと、そういうことです。
しかし、言われた本人がブチ切れて襲ってくるというパターンもありますから、ご利用は計画的に。