学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

友達が必ずしも必要でない現代

昔は友達の存在は、人生に欠かせないものだという考えが主流だった。
友達は人生において宝のような存在で、困った時には助け合うべき存在である、と。
確かに学生時代、まだ仕事が生活のメインではない時代には、友達の存在は大きかった。
楽しみが少なかった頃は、一人ではつまらないという理由で友達を求めたが、今の時代、もう一人でも存分に楽しめるようになった。
むしろ、一人の方が気遣いなく伸び伸びと過ごせるし、世の中サービス業が多岐にわたる分、もはや友達とは昔ほど必要ではない存在になりつつある。
必要な時に必要な分だけ他人を求められるのなら、きっと便利な存在として都合が良い部分だけで済むが、相手も生きている人間であるから、日常の中で自然と会うような人でない限り、予定を合わせるにも前々からアポイントを取っておく必要があるし、長い時間を共に過ごすと、悪い部分も見えてくる。
そして、楽しい時間が実現しないと、どうにも落ち着かなかったりする。
だから、どうしてなのか、ただ遊ぶだけでもまるでデートかのようにプラン立てしないと、つまらない事にもなり得るし、無駄な時間を過ごした気にさえなってしまうのだから、難しい所だ。
かといって、助け合うにも、お互い大人である。それほど何度も助けてほしいような事はない。
時々、助けてほしくなる事があっても、それまで随分とご無沙汰していたのに、久しぶりの連絡が「手伝って下さい」では虫が良すぎるだろう。なかなか頼みにくいものである。

そして、四六時中友達と一緒に居ると、自立出来ていない頼りない人間ではないかと疑われる傾向もある。
時にはホモ疑惑、またはレズ疑惑にさえ発展する。

なぜ、こんなにも友達という関係が構築しにくい社会になってしまったのだろうか。
仮に一方が素直になって、寂しいよ暇だよ遊ぼうよと言っても、相手はそれを面倒に感じてしまう場合がある。
素直になるのは、一つの美徳である筈なのに、いつの間にか世の中は、素直な気持ちを抱く事で、相手に距離を置かれる可能性があるという時代。
ネットワーク社会は、多くの情報を民衆に与えたと同時に、人と人の精神的繋がりの構築過程を破壊してしまったと思う。

だから、こんな時代にも、あなたに親友がいるのなら、素晴らしいことだ。
きっと誠実な人に違いない。
その縁が末長く続くことを祈る。