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学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

好奇心を抱き続けるには

まだ小学生にもなる前の子供の頃は、とても世界が狭かった。

しかし、その世界は全てが新しいことだらけだったから、狭いからつまらないとは少しも思わなかった。
まだ身長の低い時代、地面との距離が近く、道路をただ歩くアリにさえ興味を抱いた。
色んな石の形を見たり、積み上げたり、投げたり、壊したり。どんなことも楽しめた。
親の運転する車に乗り、外へ出かける度、見慣れない世界に触れてワクワクした。
特に台風の時なんか、ワクワクした。
いつもの見慣れた近所の道路が、まるでプールのようになっていて、長靴を履いて歩くだけでも楽しかったし、何かを浮かべて遊んだりもした。
まだ何も知らなかったから、何もかもが新鮮で、些細な事で何度も遊んだ。
 
当然、大人になってからは、そんなものには少しの興味も抱かない。
ただ、ただ、下らないと思うだけで、見向きもしない。
その理由には、大人とは大人らしく振る舞うべきという、概念にとらわれてしまったというのもある。
例え大人であろうとも、本当は思い切りブランコに乗りたいし、滑り台も思い切り滑りたいという気持ちがあるのではないだろうか。
でも、多くの場合、それが既に飽きてしまった事だから、という理由で興味がわかないのだろうと思う。
どんな楽しいことも、何度も繰り返し遊べば、いつか飽きる。
大人になっても、楽しいことを追い求める気持ちに変わりはない。しかし、何事も初体験は一度きりだ。
一つの物事に、いつまでも新鮮な気持ちを抱き続けるというのは、ありえないことだ。
だから、常に新しいものを追い求めては、飽きて、また次の何かへ。
それを、生きてる限りずっと繰り返していく。
そして、あらゆることに、どんどん飽きていく。
歳を取れば取るほどに活力を失っていくのは、好奇心を失っていくからなのか。
知りたいという気持ちを徐々に失い、日々がつまらなくなってしまったからなのか。
 
何かを知る事で、その知識を得ると同時に、その時抱いていた好奇心を失うのなら、今の時代は余計に多くの好奇心を殺すことができるだろう。
お手軽なインターネットは沢山の好奇心の墓場。知りたいと思った事をすぐに調べられるし、時間の許す限り、それをいつだって繰り返せる。同時にそれまで抱いていた好奇心を次々と失う事ができる。
 
ただ、それでも幸いなことにこの世界、興味の種はまだまだ尽きない。
世界中の人々が、今も誰かの一時の満足の為に、苦労してくれている。
だから、好奇心は次から次へと、その対象を見失うことなく、移ろい続ける。
生きてる限りいつまでも、知りたいという気持ちを失わず、好奇心を持って、あらゆることにトライしていきたい。
どうせなら、一度きりの人生、楽しく生きたい。
 
 
 
余談。
きっと、子を持つ親になったが最後、自分の好奇心の為に生きることを放棄せざるを得ないだろう。
自分の人生という、その物語の中で、主役の座を我が子に譲るというのは、随分と勇気のいる決断のように思う。
そんな自己犠牲の精神。
子を持てば、自然と湧き出るようなものなのだろうか。
今はまだ、わからない。
(8/19 追記)
その人との幸せの為なら、全てを投げ捨てても構わない相手を見つけた。
主役の座を手放すのではない。共有するんだ。
文字通り、全てを投げ捨ててしまえる。
例え、大好きな趣味でさえも、その人との為なら躊躇なく捨ててしまえる。