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学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

多様性はどんどん失われていく。

2016年、なんだかいつの間に時間は過ぎていく。

84年に生まれ、約31年間、時代というものの色々な変化を感じながら、これまで生きてきた。
それはたったの30年余りではあるが、その変化は割と凄いものであった。
バブル崩壊によって、国民全体が徐々に貧しくなり、スマートやエコロジーが重視される世の中へとなっていった。しかし同時にデジタルという技術が成長著しく、国民の生活は大きく変化した。
不景気とデジタル技術。
この二つの要素が変えていった生活の変化を、どれだけの人が予想できただろうか。
 
…まずはじめに言ってしまうと、結果として良い社会になったのかといえば、そうとは言い難いように思う。
 
インターネットは我々に広い世界を見せてくれた。
多種多様なコンテンツが、世の中のあらゆる興味を教えてくれた。
広く浅くではあるが、良いものや悪いものは何か、学べた。
結果として、良いものは残り、悪いものはどんどん無くなって言った。
そして、以前よりも更に、少数派より多数派の為の社会へと変わっていった。
オモチャも、ゲームソフトも、マンガも、雑誌も、ありとあらゆる種類のものが、不経済のあおりを受け、エコロジーやスマートという概念の果てに、淘汰されていった。
 
そして今この現代、改めてバブル期の頃を見て思う。ちょー楽しそうだと。
確かに中には明らかに無駄なものもあったが、それはそれで奇妙キテレツ、一興というやつである。
今ではもう、予算がないから無駄を削減するばかりで、そういう変な遊び心は全て不必要とされ、後々非難まで受ける位だ。
だから、ふと外で、無駄にお金のかかったであろう変な建築物を見つけると、感動すら覚える。
バブル期は面白い時代だったんだなあと感じて、少し羨ましくなる。
 
そんなバブル期にはあった多様性。それらは全て、景気に支えられてようやく生きていたものだ。
もちろん、今でも国民全体お金に余裕があったならば、それぞれが色々な趣味に没頭できるから、当然職種も多彩になり、聞いたことないような本当に変わった職業も沢山あっただろう。
やはりお金があったバブル期の方が文化的にも非常に勢いがあったし、数々のアーティスト志望の若者が、何とか日銭を稼ぎながら生活をして、成功する夢を追いかけていた。
 
だが、生活するだけで精一杯という今の世の中。
景気というものが衰退すると、本当に世の中がつまらなくなるのは、至極当然の事だ。
現代人がつまらなくなったのではない。
現代人の生きる社会がつまらなくなったのだ。
誰一人、危険を冒して挑戦することなく、生活だけを守り、年をとって死んでいく。
誰かに何かを分け与えるゆとりはなく、助け合いは行われず、それどころかむしろ、誰かに騙され奪われることを恐れる。
人は余裕を失うと、いくらでも非情になれるから、これから先どんどん格差社会になっていくにつれて、自殺も犯罪もどんどん増えるに違いない。
多様性とは、やはり経済のバロメーターでもあるようだ。
それと、絶滅の危機に瀕している動植物など、生物の多様性保護という国家予算で行う取り組みも、今はまだあるが、今後の景気の次第によっては、それの予算すらも打ち切られるかもしれない。
人口がガクッと減る近未来、廃村になる村も町も多々出てくるだろう。
国民総生産が減るから、当然税収も減るばかり。必要な分の労働力もないから全国の道路整備もままなら無くなるし、案外、廃墟の村に野生の王国が栄えるようになったりして。
 
 
僕の暮らす町も、以前には一つの独立した市であったが、より大きな市と合併してしまい、何だか寂しい気持ちもあった。
あちらこちら、何処でも吸収合併ばかり。
脱サラ、独立なんて言葉からは、夢や希望というより、今や不安しか連想できない。
ひたすらに、将来の保障ばかり案じて、自らに眠る好奇心を殺し、ただ、我慢しながら毎日を暮らしていくのみ。
子供の頃や、若い時ほど遊んで、色々な体験をするべきだという意見もあるが、そのような事をしていたら、その人の将来が危ぶまれてしまうから、現在まともな親なら許さないだろうと思う。
しかし、バブル期には経済の不安など無かったし、まともな給料もあったから、どんな風にでも生きていけるような気さえしていた人が多い。
 
それと、バブル期を支えたものの一つには、必ず訪れる明るい未来というキーワードがあったに違いない。
大阪万博で、未来のテクノロジーの進歩の可能性を感じさせ、国民全体に明るい未来を信じさせた。
公共事業も沢山あったから、どんなに若い頃にやんちゃでも、低学歴でも、家庭を持ち、子を育てられた。
でも、これからの未来には、もう劇的な発展など無いことが、ネットワークの進歩によって広く知られてしまっている。ネットワークは今まで知らなかった世界、未知の世界を、既知の世界へと変えてしまった。
後はもう、如何に自分の心を誤魔化して、それなりに楽しく生きていけるかを考えるしかない。それが一番ポジティブな生き方になってしまった。
 
全ての人や子供が、足並み揃えて歩き続ける事を是とする現代社会。
面白くなるわけがない。
でも、それでも人は本能的に面白さを求めてやまない。
ワクワク、ドキドキしながら生きたい。
そして、そうでなければ経済の活性化に繋がるはずはない。
我々国民は楽しまなくてはいけない。
未来のためにも。
 
幸い、結婚適齢期以下の男女にはいつの時代にも共通の楽しみである恋愛というものがある。
恋愛を奨励することが、出生率の低下に対しても有効な手段であることは、疑うまでもない。
まあ、奨励なんて簡単に言っても無理だろうし、実際やっても効果出なそうだけど。
 
多様性のある時代が、僕らの生きてるうちに再び訪れるといいよね。
人間は道楽至上主義なんだから、遊び心は必要だよ。

声も顔も知らないけど、みなさんヤッホー。

今時、他人に興味を抱く人が少ないということは、少なからずみなさんもわかっていると思う。
だって、人というものは時には面倒なこともあるからね。もっとお手軽で、それでいてもっと面白いものが世の中には沢山あるから。
でも、それなのに人はわがままだ。
他人には興味がないのに、自分の事を知ってもらいたいという気持ちは誰しもそれなりにはあるんだから。
そして、幾つになっても自分のことを賞賛されたがってる。
自己の肯定を常に自分以外の他人からも求めてる。
どうしようもない、生きてる限りずっとわがままだ。
でも、そんなわがままで自己主張が強い人間が書くブログは、案外見る人も多い。
とてもありがたいことに、このブログを見てくれる人もちゃんといる。
そして、今もこうして、自らの気持ちをここに書き込む自分自身、見てくれる人がいるからこそのモチベーション。
自分が生まれ持って今まで育んできたこの性格は、良くも悪くも自己主張が尽きないから、きっと生きてる限り、あらゆることをここに書き込む。
それが、この世界に生きる誰かの共感を誘うなら、とても幸いに思う。
 
今までにも、たくさんの偉そうなことを考えては、ここに書き込み続けた。
自分は理想を思い描くことが好きだ。
それは決して特別なことではない。大昔から多くの人間が考え続けてきたこと。
その結果としての今日がある。
そして、これから先の未来がある。
 
ただ、ここで何を思い、何を提案しようとも、それが世の中に与える影響はほとんど無いに等しい。
それでも、意味はあるのか?
望みは叶うのか?
理想は少しでも自分に近づくのか?
 
意味は、ある。
望みは叶わないかもしれない。
理想はきっと少しでも近づける。
 
自分は生きてる限り、自己満足を追い求める。
この飽食の時代、慢性的に生きるか死ぬかの瀬戸際に瀕したことがない我々日本人は、自己満足達成こそが人生の意義。
今日も、自己満足を追い求めてここに書き込む。
 
「見てください、みなさん。
今、僕はこの世界に、確かに生きていて、ここに書き込み、皆さんへ自己主張します。
インターネットの中の、わずかな文章の羅列。
声も姿もわかりません。
ですが、確かに生きて、ここに存在しています。ヤッホー」
 
わがまま自分勝手、すみません。
でも、これからもこのブログを続けます。
少しでも、誰かの共感を誘うなら、とても幸いに感じます。
 
 

理想の男女関係と、現実のズレ。

誰しも、とある異性に心惹かれ、その相手を次第に強く追い求めるようになってしまうのは、どうして?
これが、恋心…?
結論として先に言ってしまうと、その恋心というものの原動力は、包み隠さずにハッキリというが、「性欲」以外の何物でもない。
その手の学者さんも明言している。「生物学的には純愛は無い、男女にとって重要なのはセックスだ」と。(元々純愛というものは定義が曖昧なんだが、今回は性欲の結びつかない純潔的愛情とする)

 

まず、初めて出会った異性で気になるのは見た目という部分、その見た目というものも、ある程度はみんな共通項目があるが、好みは人それぞれである。
そして、その人の好みという琴線に触れる異性の存在を目の前にした時に沸き起こる欲望とは、恐らく男女共通「性欲」以外の何物でもない。
ある人の容姿に特別な魅力を感じたのなら、それは理屈で表すことのできない本能的なもの、性欲だろう。
ハッキリといえば、琴線に触れぬ相手とは、異性としての評価が出来ない相手のことであると思う。
ただ、だからといってそんな人との恋愛が全くありえないというわけじゃない。趣味が合ったり、話が合ったりで、仲良くなることがあるかもしれない。1日のうちに、その人のことを考える時間が長くなると、人は恋に落ちやすいという説もある。
だから、そうして仲良くしているうちに、かわいいと感じたり、抱きしめたいと思う気持ちが芽生えたのなら、結果として性欲が抱ける異性となりえる事もある。
ただ、容姿をスルーした上での、中身を気に入って異性として評価した場合、もしも中身に疑問を抱いてしまうと、元々容姿から感じる性欲のフォローがないので、よほど相性が良かったり、強い絆や思い出が無ければ、余計に悪く見え、とたんに崩れてしまう。
例えば、とある2人は、お互い性欲を感じて相思相愛至り、恋人同士となった。
しかし、そのどちらかが、いつの間にか著しく容姿を悪くしてしまい、一方が性欲を感じなくなった時、些細なきっかけで別れの時が訪れる可能性が上がる。
相手に性欲を抱けなくなると、もうどうにもならない。

恋心は次第に冷めていき、あるいはその気持ちが違う人へと向かってしまうこともあるだろう。

だから、容姿と性欲はどんなに歳をとろうとも、男女の関係を望む限りずっと重要なポイントである。

あなたが男女関係の理想を追い求めているのなら、かなり重く受け止めるべきだろう。

 

 ただ、非常に残念なことに、実はどちらにしても同じ相手に永遠に性欲を抱き続けるのは不可能なことであって、脳内から出る恋愛ホルモンもある期間を過ぎると分泌が止まる。

どんなに世界一素晴らしい相手だと思って付き合いを始めても、そのドキドキはいつか必ず消えてしまう。
それが一般的に言うカップルの倦怠期というものだ。
こればかりは、本人がいくら頑張ろうと思ったところで、恋愛ホルモンは出てこない。
この倦怠期を乗り越える方法はあるのだろうか?

答えは「YES」

しかし、これまた残念なことに、この倦怠期を乗り越える最も効果的な方法は、一度距離を置くということ。
全く会わず、連絡も取らない期間を設けると、脳内のカウントがリセットされて、不思議なことに再び会った時に恋愛ホルモンがしっかり出てくる。
だから、例えば冷め切ってしまった夫婦も、単身赴任などで距離を置くと再び恋愛ホルモンが出て性欲が沸き起こるのだという。ただそれはあくまで、再びお互いの容姿に問題なく性欲を抱けるかどうかという前提もあるのだが…。
恋愛初期は、とにかく一緒にいることがとても幸せで、濃密な時間を過ごすことができる。
ただ、あまりにも同じ時間を過ごしすぎると、倦怠期を迎えるのも早いらしい。
だから、ドキドキする気持ちを取り戻したいと思うなら、必要に応じてではあるが、会わない期間を設けることも残念なことに必要となる。
倦怠期の乗り越え方には色々な方法があれども、全く会わずに脳内リセットをすること以上に効果的な方法はないらしい。

しかし、好き合って交際を始めた二人にとって、いくらやむを得ずとはいえ、音信不通なんてどう考えても進んでやりたいとは思えないことだし、お互いが同時に倦怠期であったならまだしも、片方のみだと辛いに決まっている。

それでもなんとかカップル同士であれば可能ではあることだが、いざ結婚したら、同じ家で暮らすことが当たり前となる。

その状況でどうして、距離を置くことができるのか?
この場合においては、倦怠期となることもある程度仕方がない。なぜなら、夫婦は子供を育てなければならない責任があるからだ。(もちろん、子供がいない夫婦は例外)
恋愛初期のドキドキはある程度諦め、良い家族になる必要が出てくる。
好き合って、一生側に居たいと強く願い、結果として結婚に至り、子供を産んで、その恋人同士は終わりを迎え、家族となる。
家族とはなんなのだろう?子供は喜ばしいが、どんなに愛し合った恋人同士もいつか終わるなんて、寂しい話だ。

もちろん、暖かい家族愛や、落ち着く雰囲気があれば、何もかも悪いというどころか、立派な幸せの形だ。

しかし、ドキドキしている時に感じる幸せは、やはりすごい。

人間の本能的な問題で仕方がないとはいえ、なんとか良いとこどり出来ないものだろうか?

タイトル通り、理想の男女関係と現実のズレである。

 

家族になってからの問題のほうがより深刻だ。
どんな方法が、夫婦を再び恋人同士へと復活させるのか。
倦怠期の完全リセットの為には、会うことはもちろん、連絡もしないのが重要だが、夫婦においては不可能なことだ。
その度に離婚して再婚するなんて、とても出来ない。

今現在は効果的な方法がわからない。
しかし、その問題を強く認識した上で、夫婦で相談しあって生きていければ、何もせず成り行きに任せるよりは、うまくいくのかもしれない。

それと、もし一度は別れてしまうことがあっても、再び二人が会い、再び恋に落ちるような事があるなら、その時はきっと以前よりも、もっと強い絆で結ばれるに違いない。

再び結びつく事で、お互いの必要性と唯一無二を再確認するのだから。

最終的には、性欲よりも思い出と絆、家族愛が勝るのだろう。

 

最後にもう一度
「純愛は無い、あるのは如何にその人とセックスしたいかという気持ち」
そこが男女の原点。
それを知った上で、理想を追い求めたい。

好奇心を抱き続けるには

まだ小学生にもなる前の子供の頃は、とても世界が狭かった。

しかし、その世界は全てが新しいことだらけだったから、狭いからつまらないとは少しも思わなかった。
まだ身長の低い時代、地面との距離が近く、道路をただ歩くアリにさえ興味を抱いた。
色んな石の形を見たり、積み上げたり、投げたり、壊したり。どんなことも楽しめた。
親の運転する車に乗り、外へ出かける度、見慣れない世界に触れてワクワクした。
特に台風の時なんか、ワクワクした。
いつもの見慣れた近所の道路が、まるでプールのようになっていて、長靴を履いて歩くだけでも楽しかったし、何かを浮かべて遊んだりもした。
まだ何も知らなかったから、何もかもが新鮮で、些細な事で何度も遊んだ。
 
当然、大人になってからは、そんなものには少しの興味も抱かない。
ただ、ただ、下らないと思うだけで、見向きもしない。
その理由には、大人とは大人らしく振る舞うべきという、概念にとらわれてしまったというのもある。
例え大人であろうとも、本当は思い切りブランコに乗りたいし、滑り台も思い切り滑りたいという気持ちがあるのではないだろうか。
でも、多くの場合、それが既に飽きてしまった事だから、という理由で興味がわかないのだろうと思う。
どんな楽しいことも、何度も繰り返し遊べば、いつか飽きる。
大人になっても、楽しいことを追い求める気持ちに変わりはない。しかし、何事も初体験は一度きりだ。
一つの物事に、いつまでも新鮮な気持ちを抱き続けるというのは、ありえないことだ。
だから、常に新しいものを追い求めては、飽きて、また次の何かへ。
それを、生きてる限りずっと繰り返していく。
そして、あらゆることに、どんどん飽きていく。
歳を取れば取るほどに活力を失っていくのは、好奇心を失っていくからなのか。
知りたいという気持ちを徐々に失い、日々がつまらなくなってしまったからなのか。
 
何かを知る事で、その知識を得ると同時に、その時抱いていた好奇心を失うのなら、今の時代は余計に多くの好奇心を殺すことができるだろう。
お手軽なインターネットは沢山の好奇心の墓場。知りたいと思った事をすぐに調べられるし、時間の許す限り、それをいつだって繰り返せる。同時にそれまで抱いていた好奇心を次々と失う事ができる。
 
ただ、それでも幸いなことにこの世界、興味の種はまだまだ尽きない。
世界中の人々が、今も誰かの一時の満足の為に、苦労してくれている。
だから、好奇心は次から次へと、その対象を見失うことなく、移ろい続ける。
生きてる限りいつまでも、知りたいという気持ちを失わず、好奇心を持って、あらゆることにトライしていきたい。
どうせなら、一度きりの人生、楽しく生きたい。
 
 
 
余談。
きっと、子を持つ親になったが最後、自分の好奇心の為に生きることを放棄せざるを得ないだろう。
自分の人生という、その物語の中で、主役の座を我が子に譲るというのは、随分と勇気のいる決断のように思う。
そんな自己犠牲の精神。
子を持てば、自然と湧き出るようなものなのだろうか。
今はまだ、わからない。
(8/19 追記)
その人との幸せの為なら、全てを投げ捨てても構わない相手を見つけた。
主役の座を手放すのではない。共有するんだ。
文字通り、全てを投げ捨ててしまえる。
例え、大好きな趣味でさえも、その人との為なら躊躇なく捨ててしまえる。
 
 

すげーモッタイナイと思う事

あらかじめ言っておくと、世の中には色んな嗜好があり、大多数が見て良いと思わないものにも需要があったりする。

しかし、今回はあくまで大多数の男からの意見として、言わせていただく。
タイトルの通り、すげーモッタイナイと思う事。
その対象は、ズバリ女性にだ。
 
世の中の女性の大半は、基本的に綺麗になりたいという願望を抱いて生きていると思う。
そんな思いは、お化粧に現れたり、洋服に現れたり、髪型に現れたり、アクセサリーに現れたり。
皆それぞれ、色んな知恵を凝らして、自己を演出しているのは素直に凄いなと思う。
しかし…しかし、そんな彼女らの努力の全てが報われているのかと言えば、大多数の男からの判断で言えば「NO」である。
そして早くも結論を言おう。
報われてない女性は、努力の優先順位を間違えてる。
 
この世の中で一体どんな女性がモテているのか?
そんなのテレビ見ればわかる。
雑誌見ればわかる。
インターネット見ればわかる。
 
太ってる人いる?
猫背の人いる?
顔の肉が厚い人いる?
…いないですよね?
 
太り気味の人は、まずダイエットが当たり前。
猫背の人は、まず姿勢矯正が必要。
顔の肉が厚い人は、まず表情筋の筋トレ。
 
これらのポイントを修正し終えてからでないと、化粧も洋服も髪型も効果を発揮しない。
極端な言い方をすれば「馬子にも衣装」という皮肉的ことわざのおっしゃる通り。
今更言わなくてもわかってるとは思うが、かわいい女の子はね、恐らく殆どがこのポイントをクリアしている。
 
痩せてる事が大前提。
猫背でない事が大前提。
顔の肉が厚くない事が大前提。
 
そして、これらは全て、正しく体を動かすだけで解消できる。
体を動かすことにお金は対して必要ない。
貧乏人でも大丈夫。
適切なテキストを用意するだけ。
飲むだけダイエットとかその他、妙なダイエットアイテムに大金払う人もたくさんいるが、成功した人は一人も知らない。だから断言する。
ムダ。
近道したいの?
一番の近道はね、毎日のワークをこなしていくことです。
大丈夫、ゴリマッチョにはなりません。無駄な心配です。
もちろん、トレーニングは辛いですよ。
でも、報われたいですよね?
沢山の男からすっげーモテたくありませんか?
もし、女性の人生が、男からの評価次第で決まってしまうというのなら、あなた方がすべき行動は、もう明確な答えが出ているじゃありませんか。
 
本当の綺麗を手に入れましょう。
 
実にシンプル。
かわいい女の子は無敵です。
どんな男も優しく接します。
優良物件も選び放題。
 
好きな人を振り向かせるには、テクニックが重要?押して引いて?
んな下らないことやめて、フィジカルトレーニングしましょうね。
 
どうせ、自分なんか痩せたところで、姿勢を直したところで、顔の肉がスッキリしたところで、かわいくなるわけないって思ってる人。
まだその姿見たことないでしょ?
見たことないのにもう結論出して、自分の可能性捨てちゃうんだ?
 
あーモッタイナイ。
 
 

次世代に何を残し、何を望む?

日本社会
残念な事に、人々がバブルの頃に夢見た未来は幻だった。
どんな生き方でもなんとかなると思ってたのに、何もかもが良くなっていくと信じられていたのに、現実は酷だった。

そして今。
人々が思う未来とは、少しもワクワクするところがない。
宇宙開発の夢も消え、景気が回復する見込みもなく、念願の東京オリンピックもケチばかり付いて、少しも楽しみではない。
少子高齢化による経済の圧迫。
安月給で老人の世話をする働き盛りの人々。
親に寄生し続けて、自立できないニート
科学力だけは発展し続けてきた結果、多くの人々が仕事をなくし、一方では生活保護の費用は増える。
そんな社会保障制度や、年金など、働いてない人達を支える為には沢山のお金が必要なのに、それを支える若者は安月給。
それでも生きていく為には働かなくてはいけない。
そうして大変な仕事にもめげずに、頑張って働く人からは、容赦なく多くの税金をむしり取り、不平不満は次々と増え、貧富の差は広がるばかり。
若者は結婚をし、当たり前のように子供を設けるという事が、とても大変な時代となってしまった。
そんな今、我々は何をするべきなのか?
次世代に何を残さなくてはいけないのか?
久しぶりにブログを書いてみようと思う。
ただ、ほうひんは学者ではないので、あくまで一般の一意見としてご覧下さい。

まず、第一に移民政策について。
これに関しては、はじめに言っておくと危険すぎて絶対にやめたほうが良いと思っている。
それはなぜか?
理由は、これまでに移民を受け入れた国の歴史を見ればわかる。
更に、この国の国民性を考慮すると、どう考えても危険極まりない。

例えば、アメリカ。
まず最初に彼らは原住民を追いやった。
そして、アフリカから黒人を奴隷として拉致し、更に各国から多くの移民を受け入れ、強国を築いた。
結果としてイギリスよりも強い国となったが、貧富の差や、治安は決して良いとは言えない。

日本は移民などを一切行わずにこれまで続いてきた、歴史ある国である。
おかげで、この国の国民性は他国に比べ穏やかで、教育や道徳も備え、結果として治安も良く、他国のような緊張感がない。
自衛隊のおかげで他国からの侵略にも対抗できるこの国は、平和を求める人にとっては、かなり良い国であると思う。
実際、日本国籍が欲しい外国人はかなり多いようである。
そんな日本がもし移民を受け入れたら?
各地で性犯罪、殺人、強盗、暴行は日常茶飯事。警察も死ぬ覚悟で仕事をしなくてはいけない。
安い賃金で働く外人に職を奪われ、気の弱い日本人はどんどん付け込まれて、いずれは国を奪われるだろう。
どう考えても、移民は危険である。

となると、最も重視すべきは少子高齢化対策。
何としても子供を増やさなければいけない。
子供がなければ未来はない。
ただ、そんなことは誰しもよくわかってることだ。
問題はお金がないという、その一点に尽きる。

しかし、今はただ産めば良いという時代ではない。
多くの場合、優れた子供しか求められていない。
劣った子供は将来的に不幸を招く可能性が高いからだ。
だから優れた子供を持つ為には、親となる存在もそこそこに容姿が良く、学習力のある男女であるというのは最低条件である。
単純に経済的な問題だけではない、この少子高齢化対策というものは非常に難しい案件である。

となると今、我々一般人がやることは何かというと、まずは良い結婚相手候補を探しておくべし。
その為にも自分を磨き、高めましょう。
そしてめでたく、少子高齢化対策に大きなテコ入れがありましたら、ポンポン産んでしまいましょう。
まずはそこからです。
そして、立派な大人に育てましょう。

まあ、難しいでしょうがね。

これから先の未来を担う子供が清々しく朝日を浴びて毎日を過ごしていけるよう、頑張りましょう。

友達が必ずしも必要でない現代

昔は友達の存在は、人生に欠かせないものだという考えが主流だった。
友達は人生において宝のような存在で、困った時には助け合うべき存在である、と。
確かに学生時代、まだ仕事が生活のメインではない時代には、友達の存在は大きかった。
楽しみが少なかった頃は、一人ではつまらないという理由で友達を求めたが、今の時代、もう一人でも存分に楽しめるようになった。
むしろ、一人の方が気遣いなく伸び伸びと過ごせるし、世の中サービス業が多岐にわたる分、もはや友達とは昔ほど必要ではない存在になりつつある。
必要な時に必要な分だけ他人を求められるのなら、きっと便利な存在として都合が良い部分だけで済むが、相手も生きている人間であるから、日常の中で自然と会うような人でない限り、予定を合わせるにも前々からアポイントを取っておく必要があるし、長い時間を共に過ごすと、悪い部分も見えてくる。
そして、楽しい時間が実現しないと、どうにも落ち着かなかったりする。
だから、どうしてなのか、ただ遊ぶだけでもまるでデートかのようにプラン立てしないと、つまらない事にもなり得るし、無駄な時間を過ごした気にさえなってしまうのだから、難しい所だ。
かといって、助け合うにも、お互い大人である。それほど何度も助けてほしいような事はない。
時々、助けてほしくなる事があっても、それまで随分とご無沙汰していたのに、久しぶりの連絡が「手伝って下さい」では虫が良すぎるだろう。なかなか頼みにくいものである。

そして、四六時中友達と一緒に居ると、自立出来ていない頼りない人間ではないかと疑われる傾向もある。
時にはホモ疑惑、またはレズ疑惑にさえ発展する。

なぜ、こんなにも友達という関係が構築しにくい社会になってしまったのだろうか。
仮に一方が素直になって、寂しいよ暇だよ遊ぼうよと言っても、相手はそれを面倒に感じてしまう場合がある。
素直になるのは、一つの美徳である筈なのに、いつの間にか世の中は、素直な気持ちを抱く事で、相手に距離を置かれる可能性があるという時代。
ネットワーク社会は、多くの情報を民衆に与えたと同時に、人と人の精神的繋がりの構築過程を破壊してしまったと思う。

だから、こんな時代にも、あなたに親友がいるのなら、素晴らしいことだ。
きっと誠実な人に違いない。
その縁が末長く続くことを祈る。