学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

どんな文明も滅ぶ運命にあるのだろうか。

文明は常に進み続けている。確実に便利な社会が実現している。その事は誰もが感じているはず。
しかし、意図せずも、文明発展が同時に人と人との繋がりを希薄にしてしまった。
わざわざ頼んでまで人の手を借りずとも、ネットワークの普及により、あらゆるサービスに頼れば情報も手に入るし、人の手を借りずともそれなりに生きていけるから、面倒な付き合いごとにも関わらなくて済む。
しかし、結果として助け合わなくなった現代人には、もはや友達すら信じることすらも難しくなった。
なぜなら、不自然に親切であると逆に疑われる世の中だからだ。
少なくとも日本人では、ほとんどの人が、本当に全ての心を許せる隣人など、誰一人いないのかもしれない。

仮に同性と仲良くなりすぎると、同性愛を疑われるし、もはや社会的には、心許せる隣人とは恋人や伴侶以外には実現できないのか。
核家族化の行き着く果ては、ほとんどが核個人化、上手くすれば核夫婦化、更に良くて、ようやく再び核家族になれるのか。
それならば、尚のこと恋人や伴侶の相手選びには妥協できない。多くの人が、無意識にもそれを感じているからこその未婚率増加傾向なのか。
そんな現代でも、なんとか幸せな結婚が出来た人は多くないだろうから、素直に祝福したい。
ただ、これからの子供は今よりも更に選択肢の少ない中から伴侶探しを行わなければならないから、やはり今後、人口増加傾向に進むようには見えない。
経済的にもいきなり好転する可能性は考えにくい。

そして、現在の支配システムは盤石だ。社会構造、支配層の大きな変化はありえない。
もう二度と田中角栄のような、低学歴の覇者は現れないだろう。
確実に、定められたレールの上を進んだ者にしか、成功は与えられない。
江戸時代の士農工商ほどではないが、高学歴の子は高学歴、低学歴の子は低学歴。生まれた時の格差から抜け出す事は難しい。

つまらない人間の多い、つまらない時代になった。

便利さや合理化を進め、テクノロジーの進歩、死亡率の低下、あらゆる事が進歩していってるのは事実なのに、人々の幸福度や満足度は一向に上がる気配を見せない。
将来に対する不安しか見えていない。
めでたく結婚し、経済的な不安もない中で出産できたとしても、その子供の未来がどうなるかなんてわかりっこない。
もしかしたらその未来、子供は生まれてきたくなんかなかったと大きくなってから思うかもしれない。
親としては、避けたいと思うべき未来だろう。
まあ、いつの時代にも、勝ち組負け組はあるものなんだが。

全ての人が幸せになれる世界じゃないのなら、子供を産む責任は余計に大きい。
自分の人生の彩りを増やすために、子供を産むのか、盲目的に子供の未来を信じて産むのか。
どちらにせよ、未来が明るいとは言い難い。

いっそのこと、どんな境遇にあるような人も、テクノロジーの力で新開発したドラッグで、いつでもどこでも満足感の得られる状態を作れるようにすればいい。
そうすれば、この世のすべての人が、心にゆとりを持つ事が出来、他者に優しくできるだろう。
そして、その新薬はきっと世界を支配する。
ただ、もはやそれは人が人らしくない薄気味悪い世界であろうと思う。
…いや、現在、既に充分薄気味悪い世界なのかもしれない。

現状を当たり前と捉え、漫然と生き、疑問を持たず、それに気づいていないだけなのかもしれない。

そして、文明は発展とともに着実に衰退への道を進みゆく。

せめて、人類が最後の時まで夢と希望を見続けられたら幸いに思う。

友達が必ずしも必要でない現代

昔は友達の存在は、人生に欠かせないものだという考えが主流だった。
友達は人生において宝のような存在で、困った時には助け合うべき存在である、と。
確かに学生時代、まだ仕事が生活のメインではない時代には、友達の存在は大きかった。
楽しみが少なかった頃は、一人ではつまらないという理由で友達を求めたが、今の時代、もう一人でも存分に楽しめるようになった。
むしろ、一人の方が気遣いなく伸び伸びと過ごせるし、世の中サービス業が多岐にわたる分、もはや友達とは昔ほど必要ではない存在になりつつある。
必要な時に必要な分だけ他人を求められるのなら、きっと便利な存在として都合が良い部分だけで済むが、相手も生きている人間であるから、日常の中で自然と会うような人でない限り、予定を合わせるにも前々からアポイントを取っておく必要があるし、長い時間を共に過ごすと、悪い部分も見えてくる。
そして、楽しい時間が実現しないと、どうにも落ち着かなかったりする。
だから、どうしてなのか、ただ遊ぶだけでもまるでデートかのようにプラン立てしないと、つまらない事にもなり得るし、無駄な時間を過ごした気にさえなってしまうのだから、難しい所だ。
かといって、助け合うにも、お互い大人である。それほど何度も助けてほしいような事はない。
時々、助けてほしくなる事があっても、それまで随分とご無沙汰していたのに、久しぶりの連絡が「手伝って下さい」では虫が良すぎるだろう。なかなか頼みにくいものである。

そして、四六時中友達と一緒に居ると、自立出来ていない頼りない人間ではないかと疑われる傾向もある。
時にはホモ疑惑、またはレズ疑惑にさえ発展する。

なぜ、こんなにも友達という関係が構築しにくい社会になってしまったのだろうか。
仮に一方が素直になって、寂しいよ暇だよ遊ぼうよと言っても、相手はそれを面倒に感じてしまう場合がある。
素直になるのは、一つの美徳である筈なのに、いつの間にか世の中は、素直な気持ちを抱く事で、相手に距離を置かれる可能性があるという時代。
ネットワーク社会は、多くの情報を民衆に与えたと同時に、人と人の精神的繋がりの構築過程を破壊してしまったと思う。

だから、こんな時代にも、あなたに親友がいるのなら、素晴らしいことだ。
きっと誠実な人に違いない。
その縁が末長く続くことを祈る。