学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

クレクレタコラ見て我が振り直せ。

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この世には大きく二つに分けて

「与える側」 「 与えられる側」
の人間がいる。


ただ勘違いしてはいけないのは、この二つの関係はきっちり分かれているわけではない。むしろ厳密には分かれていない。
いきなりわかりにくくして申し訳ないが説明すると、
普段は与える側も与えられる側にもなるし、普段は与えられる側も与える側になることがある。
この二つが、お互いバランスを取り合いながら、この世界は成り立っているのである。
しかし、世の中にはこの関係を理解せずに与えられる側にずっと居たがる人が多くいるようだ。
わかりやすく言えばギブアンドテイクがわからない人々のこと。
彼らは与えられることをいかにも当たり前かのように感じているのか、何様だ?と思ってしまうことが多々ある。
それまでの人生が恵まれていたのか、一方的にくれるだけの人が身の周りに沢山いたのか、何かを受け取っても嬉しそうにすらしない。それでは与えた側は気分が悪くなると思うんだが…。
連中はどうやら受け取ることへの感謝という気持ちがすっかり欠落しているようである。
これでは他人に好かれるはずがない。
きっとそういう人は与える側になったことがほとんどないのだろう。
だから相手の気持ちなんか考えたこともないデリカシーの欠片もない人々だと思ってる。


それと、お金さえ払えば感謝する必要は全く無いと思っている上に、接待ようなことすら要求してくる輩。
そういう人、嫌いです。
確かに多くの接客業では「お客様は神様」という教育を押し付けてくるんだろうが、殆ど誰もそんなこと納得してやってるわけがない。
そりゃそうだよ。

威張り散らした最低のクソ野郎が神様であってたまるか。

連中は本当に自分を神様だと思ってるからあんなに威張れるのだろうか。

「オーマイガー」


というわけで、もし少しでも心当たりがある方は今からでも決して遅くありません。むしろ気付いただけまだマシな方です。
受け取る事を当たり前と思う前に、与える側を経験してみましょう。
ただのクレクレを脱して、人に喜んでもらえる何かを自分の中に身につけましょう。そして、人を喜ばせる何かを作り出し、提供するのです。
そうすればなんと、相手が喜びます。

どうせなら、生産的に楽しく生きましょう!