学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

落語に学ぶ、話芸のチカラ。

現代の家の中には、沢山の娯楽がある。

娯楽というものは、人類にとっては、とても大事なものであって、人々は衣食住という生死に関わる問題を解決できましたら、その次は決まって、その余力を娯楽に費やそうとします。
しかし、昔の日本には、自宅で楽しめるような娯楽などは、ネットワークなどが普及している、今のそれほど多くはありませんでした。

ですから、インドアの娯楽に飽きた方々は、面白くもない自宅になぞ閉じ籠らず、何か楽しみを求めて外へ出かけます。
しかし、初めて訪れるような新たな場所に行くというのは、どこか心細いものです。
それでは誰か友人を連れて行きますか?
もちろん、選べるのなら、なるべく共に過ごして愉快な人を連れて行きましょう。
そうして、新しい体験をし、何かと体を動かし、疲れたりはしましたが、良くも悪くも思い出作りになりましたね。
アウトドアも、めでたしめでたし。


インドア派、要注意。

技術の進歩と便利化する社会とともに、忍び寄る無痛化の闇。

しかし、先ほども少々触れましたが、現代はネットワークやパーソナルコンピューター、スマートフォンがとても普及し、家に居ても沢山の娯楽がありふれておりますので、外に出掛けなくてもそれなりに楽しめるようになりました。
その影響でしょうが、昔と今の若者たちの関わり方が、随分と変わりつつある感じが致します。
実際に会って話さなくとも、スマートフォンで連絡が取れるので、全国の若者に限らず、大人たちの間でも、中身の薄い文字のコミュニケーションしか行われず、目や口や手振りや感情を駆使する、対人のコミュニケーション能力が退化してしまっている人々が、多いように思います。
だから私も、出来ることならスマートフォンより愉快で面白い人間となれればいいなと思います。
 

何せ、面白い話ができるというのは素晴らしいことです。

話が面白いと、一緒に居るだけでとても充実したひと時を味わえます。
そんな面白い話ができる人々の中でも、落語家の立川志の輔さんのあの表現力には、とにかく人間国宝というのはこういう事だ!と思わされずにはいられません。
まあ、まだ人間国宝にはなっておりませんがね。
しかし、この志の輔師匠、何度も申し上げて、しつこいようですが、とにかく随分と素晴らしい話し方をするのです。
この人の落語は劇場のような落語です。
表情や、間の取り方、動きの表現力が実に素晴らしいのですよ。
その、あまりの巧みさに多くの人が、一瞬も見逃してなるものかと、彼の話芸に引き込まれ、とにかくたくさん笑って満足して帰られているようです。
だから、彼のチケットも即完売で、なかなか見たくても見られないほどの大人気だそうで、これこそ世間からの評価も高いという証明でしょうね。
何せ、文句の付け所のない素晴らしい話し方をします。
 
だから、一般人の我々の中からも、せめて名人の技術には及ばずとも、楽しい話を身振り手振り駆使して、表情豊かに表現する方も一つの教養として捉えてもいいと思います。
このような人材が友人におりましたら、さぞかし面白いでしょうから、色々なところで人気者となるかと思います。
 

テクノロジーの飛躍的な発展の弊害として、外へ出かけることもなく、家に閉じこもり、脳も身体能力も退化しつつある現代人。

コミュニケーション能力までもが退化しつつある今こそ、落語にあるような話の技術と言うものが、より一層大事になっていくのではないかなと思います。
人と人との関わりというのは、確かに煩わしい側面も多々あります。
しかし、その煩わしさを超える楽しさを、誰か一人に限らず、みんながそれぞれ少しずつでも提供できるようなら、みんな、楽しい人との関わりを求めて外へ出かけていくのではないかなと、私はそんな気がしました。
 
ですから、皆さんも落語の表現力を参考に、その身一つで、他愛のないことを話すだけで、誰かを楽しませる方法を磨き、多くの人に必要とされる人材を目指しませんか?


誰にも必要とされないという心境こそが、最もその人の精神を病ませる元凶であり、悲観させ、自尊心を失わせることに繋がるのではないでしょうか。

そうならないためには、やはり魅力のある人間にならなくてはいけません。
是非、人としての幸せを求めて、共に頑張って行きましょう。