学校では教えてくれない裏の価値観

日常に根ざした事柄を追求して、はっきりといわせてもらいます。

選挙カーでわめく反面教師のゲス野郎たち

えーと、今回はいつもより暴言吐きます。
元ネタ
 
 
 
 
 
「政治家って、なんだ?」
「それは、この日本に暮らす全ての国民がより良く暮らせるように、あらゆる事を考えて行動に移す人達のことだ」
「え、そうなの?俺はてっきり、もっともらしい嘘をつきまくって、当選を果たしたら踏ん反り返って何もしない上に、我々の税金で私腹を肥やす事だけには熱心なクソ野郎だと思ってた…!」
 
 
いや、本当に不思議なんだよ。
一体なんなのだ、あの連中は。
なんの志も持たず、欲しいのは権力と金。
そのために何でもかんでも嘘をついて善良な市民を騙しては騙し、何が清き一票だ馬鹿野郎!
選挙ポスターの顔も薄汚い微笑みを浮かべてやがる。
選挙カーに乗り込んだアルバイトのババア共は下らない媚を売ってきやがるし、選挙カー自体はゆっくりダラダラと走りやがる。そいつらのほざく事が国民の生活のためだと?だったら交通の邪魔だから帰れよ。
 
そして、何が「ありがとうございます」だ。
お前らに感謝されるようなことは一つもないし、感謝されたくもない。いい加減にしてくれ。
もうお前らのその呪文は、聞き飽きたを通り越してとっくに不快のど真ん中だ。
自民党公明党共産党民主党だ、もう信じちゃいないよ。
それどころか良識のある人にはとっくに「あんなクソみたいな大人にはなっちゃいけません」と反面教師として見られてるんだよ。
何が「この国のために、皆さんのために!」だよ。選挙カーの近くにいるとき心の中で何度「うるせーんだよクソババア!!」と叫んだことか。
その時拡声器があったらどれだけdisできたのかを思うと残念だよ。
 
 
 
公明党は宗教だから信者がなくならない限り大丈夫だね。
他の連中も、ブラック企業との癒着を怠らなければ再選できるよ。
 

この国の政治家は腐ってやがる。どいつもこいつもゲスしかいない。

果たして、この国の政治は他の国に比べて、それでもまだまともなのだろうか?
 
 
 
 
どさくさに紛れて大好きなブルーハーブを宣伝しちゃいまチュ。
↓選挙の内容の曲です。

 

 

 

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失われた想像力を取り戻すために

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昔からなのかもしれないが、活字の本を読んでも訳がわからないという人が多い。

これについては、普段から活字を読んでいるかどうかはとても重要なことで、その下積みが読解力にも文章力にも繋がるし、会話力にも大きな影響がある。
そして普段から読んだり書いたりすることで、自分の考えを言語というパズルで組み立てる事ができるようになる。当然、思考パターンも自ずと論理的になっていくと思う。
自分の考えというものは、文章化することでより理解が深まるものだ。その理解がなくては内容を他人に言葉で説明出来るはずがない。

小説に関しては、言葉の理解力も当然のことながら、言葉の臨場感というものが重要になる。
あれは想像力を膨らませながら読まないと臨場感が少しも湧かないと思うので、活字から想像するのが苦手な人には面白くもなんともないだろう。
 
それならば、具体的に何をどうすれば活字からの情報を処理し、想像力を取り戻せるのか?と言われると、当然本は読むべきなのだが、それ以外のアプローチはどんな事が有効なのか?
ざっくり、2点かしか思いつかない。


1.ヨガを行い、体内の気の流れを良くして、調子の良い日々を送る。

人間のパフォーマンスというものは体の状態に激しく左右される。人生をより良く送るためには、健康で調子の良い状態を維持することが、特に必要不可欠な事だ。
そしてヨガは瞑想でもある。瞑想により、あらゆることを観想するのは想像力を身につけるためには最も効果的な方法だろう。


2.地上波のテレビ番組は敢えて一切見ないようにする。

地上波の番組に関しては、視聴者を思考停止状態に追いやるための様々な工夫が織り込まれている。
ひたすらに画面は切り替わり、どんどん進行される番組は、視聴者に考える暇を与えない。
これは完全に宗教が用いるマインドコントロールの方法と同じなのだ。
この影響は、若者の想像力欠如だけではなく、マインドコントロールにかけやすい人種を育てることに繋がる。
そして、同時にこれはボケ老人量産システムでもある。
高齢化社会にかかるコストを懸念して、とっとと老人を昇天させるつもりらしい。連中のやることはえげつないが、アホな民衆にはまだバレてない。よってこれから先の時代にも、まだまだ繰り返されるサイクルだ。
うちのじーさんばーさんもこれに殺られた!!(痴呆だがまだ存命中)
ちなみに、有料放送はまだマシな番組が多い。


というわけで…
何個もグダグダと並べても印象が薄れるのでたったの2つだが、このくらいにしておく。
基本的な共通点としては、思考停止をせず、常に何かしらを考え続けろというものである。

しかし、ずっと地上波のコンテンツに依存してた人たちにとって、それを見るのをやめるのは辛いだろうね。
あれしか楽しみがないという人は多いから…。
更にヨガは面倒だろう。家族がいる家では、落ち着ける空間なんてどこにもない人が多いだろう。
だからこれだけ書いたものの、はっきり言えば困難なことだと思う。
ただね、効果的な方法、教えるだけは教えたよ?
あとはあなたの自由だ。


主張や好き嫌いははっきりすべき。

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日本人は、どうも答えを曖昧にしたがる人が多い気がする。
「いいね」とかしか言わない人の肯定なんか薄っぺらいことこの上ない。
いいと思うんなら何故いいのか、いいと思ったポイントを述べてくれ。
 どうせ、なんだかよくわからないけど肯定すればいいんじゃないかと思ってるんだろう?

どうしてなぜ自分の考えを持とうとしないのか。
はっきり好きだとか嫌いだとか言えないのか。
もちろん恋愛のことでは、言えない気持ちもわかるのでそれはいいんだが、それ以外に関しては明言したっていいだろう。
「私は◯◯が好きで◯◯が嫌いです」
という感じで、はっきり好みを主張したほうがいい。
みんな何が好きで何が嫌いかなんて聞いてないかもしれないが、一方的に言ってしまえ。
そうすれば、この人はちゃんと自分の意見を持っていると思ってもらえるだろう。悪い言い方をすれば我の強い人だと思われるだろう。
でもね、いいんだよ。我の強い人だと思われても。
今の時代、我の強さで衝突することは少なくなったのだから。
それに、好みをはっきり言う人というのはいやらしくなくて明快で良いとも思えないか?

大学のレポートというものも、常に客観視が求められるから、自分の意見や憶測や好みなんかを書くスペースがないと思うが、そういうのが俺は嫌いだよ。
いいじゃないかエゴイズムでも。
生きようとする事自体がエゴなんだし、その人生はエゴを突き通すためにあるんだから。
わがままを言わない大人が立派だ??
そんなセリフは、本当にわがままな奴が作り上げた屁理屈だよ。
言い出しっぺは本当にわがままな奴だから、自分のわがままを押し通すために、あなたにわがままを言わせないようにするために、そんなセリフを使ってるんだろうね。
いいじゃないか、わがままに育ったって。
そのわがままをまかり通す実力さえあれば、それは優れた指導者と言うんだよ。
だからわがままに生きたいのなら、貫き通すに必要な実力を身につけろってことさ。

それで嫌われたんなら実力不足だ。もっぺん勉強して出直してきな。
その失敗も繰り返せば繰り返すほど、実力は身につくのだから。

一応言っておくが…優しいかあちゃんにわがまま言っても実力は身につかんぞ(笑)

無理やり入眠を強要された幼少期

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「寝る子は育つ」
なんかよくわからんが、世の中にはこういう言葉がある。
確かに、よく寝ることは悪いことではないかもしれないし、科学的にもどーたらこーたら良いことがあるのかもしれない。
…しかし今更ながらに気付いたんだ。
どこでも幼稚園ではお昼に睡眠することを強制しているかと思うが、あれは大人にとっての休憩時間だったんだね。
そりゃ、子供ってのは一時も目が離せないくらいに手間のかかる連中だ。それが何人も居て、全ての面倒と責任を負わなくてはいけないのは凄く大変だろう。
だからこそ「お昼休憩だけは頼むからお前ら寝てくれ!」って気持ちにもなるんだろうね。

ただ、寝かされる側の意見としては、はっきり言って眠たくないのに眠ることを強要された幼少期はとてもストレスだった。
じっとなんかしていられないし、もっと遊びたいのに、寝ろと言われて寝るしかない。しかし、眠くない。となると、寝たフリをしなくてはいけない。
そう、これは自らの意思で自分に金縛りをかけるのと一緒である。
意識は冴えているのに、動くなと言われて、30分くらいじっとしているのは結構な苦痛であって、嫌な思い出だ。
ちなみに寝たフリをしなくてはいけない状況は、幼稚園だけではなく、自宅にも存在した。
そう、夜遅くてもう寝ないと怒られる状況である。
もちろん、寝たフリを行うのだが、相変わらずこれも苦痛でね。どうすりゃいいのかさっぱりわからないし、いっそのこと寝てしまいたいんだか、眠れない!寝たフリだから、あまり動けない。
だから気持ち的には「布団をふっとばして」飛び上がりたい位でした。

そう考えると、大人は自由が沢山あるね。
子供の方が自由だという意見があるが、教育に厳しい?家庭によってはそうと思えない部分が多い。
朝早く起こされて、朝7時から昼3時過ぎまで学校に居て、夕方まで塾に行く。そして、夕飯の後は宿題をして少しの自由時間の後に睡眠時間の到来。
家庭によっては、これから両親のパコパコタイムなので起きてはいけないのはもちろんの事だろう。
うーん、自由があるとは思えない。

教育に厳しいって、本当に都合のいい言葉だね。自分の思い通りに子供を操りたい大人にとって、自分の行動を肯定するための最高のセリフだね。「お前のためを思って」なんて言えば、押し付けも正当化できてしまうんだから。
子供心にも、腑に落ちないが怒られるのは凄くストレスだろうし、言うことを聞くしかないので、大変だっただろう。
学校からも、親からも、やるべき事を強要され、自分のやりたい事は少しもできない。当然、親は本当にあなたにとって必要だからと思って強要してくるのだとは思うが(深く考えずに)ほとんどの場合は「独善的」な視点から判断を下しているに過ぎない。
本来であれば、我が子の性格を考慮して、何が必要で何が必要ないかを、あくまで子供の立場になって考えないといけないはずだ。子供には模範的で画一的な教育をすれば必ずいいはずなんだと、まともに育つはずなんだと、信じてしまっているのか?

この国は、教育意識が高いだとか言われているかもしれないが、それは幻だ。
連中の考える教育観というものに大した哲学なんぞはない。
多くの場合、自分の親が自分に対して行った教育を自分の子供にまた繰り返せばいいのだと思っているんだろう。
子供は本当に楽しく幼少期を過ごせているだろうか?
幼少期という多感な時期に、親の独善で一方的に子供を抑えつけ、教えるのはやってはいけない事のみで、なぜいけないのか理由は語らず…。これでは個性を失うのも仕方ないと言える。
子は親を選べないし、子は教師を選べない。
だから、人によっては辛い辛い幼少期を送っていたりもするし、心が湧き踊るような幼少期を送ったものもいる。
これらは、確実に子供の人生を左右する問題点だ。

そういうわけだから、俺は個人的には教育や人の心に関心を抱かない人は好きじゃない。
そういう人は大抵、優しさを勘違いしている。ただの独善を行っているに過ぎない。はっきり言えば、思慮不足。
だからね、こういう事を考えている自分はこう見えても「情に厚い」と思う。
人の頑張る姿にどうしても心を打たれてしまうんだから(笑)
そして、だからこそ、自分の心や人の心のことをよく考えてしまう。あくまで冷静に判断することを心がけますがね。

え、情に厚いとは思えない?
そう言われるとそうかもしれません(笑)
そこまで自信はナイチンゲール

リーダーシップに必要とされる5つの要素

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1.リーダーとは、コミュニティーの最高責任者である。

あなたは常に責任を問われる立場であり続けなくてはいけない。責任なんて辛いだけだろうが、率先してそれを引き受けることができる人材がリーダーとしての条件の一つ目だろう。

2.リーダーは目的を必ず達成し、皆に利益をもたらす必要がある。

何と言っても、まず利益がなくては人は集まらない。利益の内容に関しては金銭という概念だけでなく、単純に楽しかった等でも良い。

3.常に先を読み、危険をいち早く察知して皆の安全や財産を守る義務がある。

仲間は属することで利益があるからこそ、あなたをボスと認めてコミュニティーの一員になっているのだから、損をさせないように気を付けないといけない。

4.仲間を思いやり、大事にしようとする心が必要不可欠である。

何がなんでも俺は仲間を大事にする!!決して裏切ったりはしない!!という姿勢がなくては、誰も信じてついては来ない。それに自分が大事にされないコミュニティーには居ても満たされないだろう。仲間があなたにとって本当に必要な人なら大事にしてあげてほしい。

5.コミュニティーの行い全てに大義があるとなお良し。

例えば、ありきたりに言えば「正義のため」だったり「仲間のため」だったり、私欲のためではなく、他者に貢献するような目的を秘めた行動は、一定数好きな人が居るので、大義というものを取り入れられるなら取り入れたほうが良い。





これらの要素を取り入れているリーダーには確実に人が付いてくるだろう。
困難な道かもしれないが、人は集まるはずだ。


あらゆる人を輝かせる小コミュニティーの可能性

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我々人間は『社会的動物』と言われている。
アリストテレスが言うには、人間は自己の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という他の動物には見られない独特の自然本性を有する動物であるとのことです。
なるほど、なんかアドラーの共同体感覚になんか似てますね。

ちなみにアドラーの共同体感覚とは、簡単に言ってしまえばみんなで協力して困難を乗り越えていこうという考えで、アドラーは集団社会から孤立した個人ではなく、『共同体感覚』を持って『劣等性の補償』を行いながら、積極的に社会参加する個人を正常であると考えていました。
…というわけで、予備知識を備えた所で本編です。


人間は一人だけで生きていくのは難しい。それぞれが持つ知能を生かして、団結して協力し合うことで大きな目的を達成することができる。
現代もあらゆる所にコミュニティーが存在し、我々人間は世界各地で団結しながら、あらゆる歴史を築いてきた。
今日も我々が当たり前のように生活できているのは、人間が社会を作りそれが機能しているおかげだろう。
社会の仕組みが人間から日常の手間を少しでも省いてくれたおかげで、その分だけ文化や文明が発達する。
個人では不可能なことも、集団となって適材適所に役割分担することが出来れば、大変なはずの仕事もあっさり終わるものだ。

ただ、現代は何もかも便利になりすぎて協力しなくてはいけないような事はあまり無く、お金さえあれば必要な時にだけ人を集めることも出来てしまうので、団結する必要性に迫られることもなく、必然的に核家族化を経て、個人主義の時代へと向かっているようだ。
助けが必要な時は、警察や消防や民間企業が解決してくれるし、もはやお隣さんには頼む必要がないので仕方ないことではある。
なので、現代では基本的に社会を維持するために必要とされる会社というコミュニティーのみが求められているわけだ。
ただ、もちろんその中でも弱肉強食は存在しており、小中企業はどんどん淘汰されて大企業のみが残ってしまった。
大企業には沢山の人がいる。この大きなコミュニティーでは役割分担によって、運営に携わる者以外は、基本的に従順が求められている。文句や発言は求められず、ただ労働力のみ求められる。
あなたは大勢の中の一人として求められるのみで、個人としてのあなたは必要とされていない。
当然これでは、アドラーの共同体感覚は薄れてしまうだろう。大事な場面で貢献できない場合、そのコミュニティー内では自分の存在意義を感じることができないので、ここが自分を必要としてくれる自分の居場所なんだ!とは思い難いものになる。

反対に少数のコミュニティーでは、あなたという個人が求められている。
少ない人数であれば一人一人が自分の考えを示すことが出来るし、一人一人がちゃんと動かなくては維持管理はできないので、誰もが必要とされている。
だから自分の意思で参加できる小コミュニティーでは、あなた一人だけが埋もれてしまうことはない。(しかし、人数による)
だから多くの場合、個人の一人一人が輝きながら生きるには、大コミュニティーではダメなのである。
しかし、大コミュニティーは社会のシステムを維持するためには今後も長らく必要とされると思うので、無くなることはないし、生きていく以上はあなたがそこに所属するのも避けては通れないかもしれない。

ただ、小コミュニティーは規模が小さい分だけ簡単に作れるものだと言える。
信用のできる友達がいるのなら、共同体としての組織を作って見るのも良い経験になるだろう。
つまり、あなたがリーダーとなって身の回りの信頼できる仲間を集めて、みんなで協力しないと達成できない目標を作り、それを達成することを繰り返せばいい。
それを繰り返せば君の仲間は「このコミュニティーがあれば自分は輝けるし利益にもなる!」と思ってくれるだろう。こうして相互関係の良好な小コミュニティーが成り立つに至るのである。
小コミュニティーはあなたの孤独も埋めてくれるし、わがままも聞いてくれるかもしれないし、いつまでも大義を持ち続けられるかもしれない。
小コミュニティーがちゃんとした組織になるなら、大コミュニティーから脱して仕事を始めることもできるかもしれない。
しかし、全てはあなたのリーダーシップが鍵を握っていることを忘れてはいけない。リーダーシップが至らなければ、いずれコミュニティーが瓦解することを避けられないだろう。

ちなみに、この世界には共産主義社会主義全体主義があり、かつて日本も全体主義国家で国が一つの大コミュニティーだった。
理想を追い求めることはとても素晴らしい挑戦だったが、全体で一つのコミュニティーは意見が偏ってしまいがちで、暴走する危険性がとても高い。
だからこそ、敗戦後のこの国では一党独裁になり難いようだし、三権分立という手段で暴走を防ごうとはしているものの、全体主義の時代よりは生産性が高くない。
だから、これだけ語っておきながら、果たしてどのようなコミュニティーが正解なのかは未だわからない。
しかし、あなたがリーダーとなって小コミュニティーをまとめ上げる経験は、あなたの人生において決して無駄にはならない経験になるはずだ。

今のこの世の中、必要な時に助けてくれるのは、友人ではなく、社会のシステムであり、それを利用するためにはお金が必要とされる。
お金が絶対的な力を持ち、お金だけが自己実現となりやすい現代では、世知辛くなるのも当然だろう。
このまま孤独に生きて寂しくはないか?
気の許せる知人友人家族は居るのか?
一度きりの人生を有意義に送る心構えはできているのか?

人生に本当に必要なものは、お金では手に入らない人の心かもしれない。
お金があっても、人に嫌われて人生を終えるのは勘弁願いたい。
それなら極端な話だが、楽しい仲間と貧乏でも共に過ごせる方が楽しいだろう?
もちろんお金はあるに越した事はないぞ(笑)



一人の時間は大事なもの

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「人という字は、人と人が支え合って出来ているんですぅ」とかいうセリフを金八先生が口にしたそうですが、これは彼が独自に創作した由来であり、本来は普通に人の姿を象形文字にして、そこから変化した形が現在の「人」となります。
…それはいいとして、本題に入ります。

人は基本的には、一人で立てるようにならなくてはいけないという考えがある。
当然、我々人間は集団で生きる動物であることには変わりないが、有名な『学問のすゝめ』で福沢諭吉も言っていた通り「一身独立して、一国独立す」という言葉がなかなかしっくりくる。
つまり、「一人一人が独立できなくては、国(集団なども)が独立することはできないだろう」ということ。
明治の初めにはこういう思想が一部ではとても流行った。福沢諭吉の思想は、とにかく独立しろ!負けん気を持て!誇りを持て!教養を身につけろ!曲がった事は絶対にすんな!と当時の若者に訴え続け、それなりに人気だったのだろう。
彼はおそらく人の世話になるのが嫌だったのかな、かなりの意地っ張りなんだろうなと思うが、その真っ直ぐで純粋な姿勢は、人間的な美観で考えれば立派で素晴らしい。
しかし、全ての人間に理解できる内容ではないし、気質によって性格は変えられないものなので、適性のあるものが各々真面目に取り組みましょうということなのかなと思う。

とにかく、まず独立することを目指すためには敢えて一人になることも必要だ。
一人の時間を設けることによって余計なストレスからも解放されるし、落ち着いて過ごすことができる。自分という人間が嫌いでないのなら、その自分と過ごす時間も悪くないと思えるだろう。
時にはその時間を自分を磨くような何かに使えるのならとても有益なものだし、この一人の時間をちゃんと確保できるのかということが、少しでも成長するために行える最も効果的な第一歩だろう。
そして、日常を生きる中で様々な物事に興味を持てるようになれば、面白さは尽きないし、人生そのものが探索の毎日で面白いと思う。そのためには沢山の価値観や了見が必要になるが、それの説明はまた今度。

という感じで、色々工夫して一人の時間でも楽しめる心が重要だ。楽しくなくては貪ることもできないからね。貪ることの大事さを説明するのはもちろんまた今度です。
つまり、まだ続きます。よろしく。